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Posted by 京つう運営事務局 at

2015年06月18日

18才

ほんの一瞬でした。
僕は小学生の時にスピッツの空も飛べるはずを聴いたときに人に音楽で「歌ではなく 」ここまで人を豊かに出来るのだなと感動をしました。
今自分が少し上手くなってメロディー和音リズムが構成しててなんて事をしりました。

中学でゆずが流行ってソングライティングをしりました。
アコースティックギターでスリーコードで歌がすぐに作れたんです。

高校は就職に有利な工業高校に行きました。
野球部に入ろうと思いましたが。
部活発表会なるもので先輩が弾いたベースに「楽器も格好いい」と思いました。

僕はすぐさまフォークソング同好会に入って歌を一杯うたいました。
高校の思いでは先輩と学園祭で曲が被っていて「お前らの方が上手いからやっていいで」と言われた事

一緒位練習した曲を

その時はラッキーと思った。
今ならもっとわかる。
先輩の方が大人だったんだ。


自分でお金払うからと音楽の専門学校みたいなのに行った。
歌うことが好きだったからボーカル科だった。

何となくユルくて熱くなれなかった。自分が一番だとかも思った。
その時にギター科は凄く上手い奴が一杯いた。

理論も知らないなんちゃってみたいな、ボーカル被れには近寄りがたい空気もあって、恐かった。

そのときくらいに音楽で食うて行こうとしてるやつを初めてみた気がする。
俺の中では上手い部類に入る奴やけどやけに話やすい奴が居て。

いつの間にか音を出していつの間にか音楽をしていた。
凄くその時の俺からしたら上手いやつも一杯いるけどこいつが一緒にやってくれるなら良いなぁって思ってそこからの僕は音楽と楽しい事ばかりだった。
始めにやったバンドはアメリカンルーツの泥臭いバンド。
周りからは上手いと言われたけど。
全然無かった。
二人ともそうやった。

直ぐに二人王将で呑んでる時に僕が「ファンクみたいなバンドやろうぜ名前決まってんねん獣ヶ原」って言うたときに
ちあきは何も言わずに頷いてくれたのを覚えている。

そこからの7年間はあっっっっっっというま。

正直鳴かず飛ばずです

今もそう

そのなかで俺の覚えてるのは大事なコンテストでしゃべれんない位に喉潰してる時にそれでもやるしかないやろうと言われた事。
カウントダウンのライブで自転車からちあきがこけてでっかいこぶ作って「ずっと吐き気止まらん」言うてた事。
当時少し天狗になってた俺がカルガモネンドとタイバンして少しも達して無いことに気づいて悔しい気持ちを帰り道にずっと聞いてくれたこと。
俺が酔っぱらって 酔っぱらってくだまいた時にCoCo壱のガレージで胸ぐら捕まれた事。
タコさんとK106と情熱とタイバンしてトリの時は楽屋で武者震いしたり
彼との事を話出すと切りがないですが。


ここまでみたいです。


一番たちの悪いのは人間的に面白いしここまで青春みたいなのを一緒に歩むと悪いことも言えないし何処かで期待しあってたのかなと。

でももっかい一緒に二人で音出した時にどんだけ二人が「でや?」って言えるか。

その土俵には上がれるミュージシャンであって欲しい。
それだけそれが出来ないならば。

何の為に音楽をやっているのか俺にはわからない。

お互い道が違えどそう言うミュージシャンであって欲しい。

ちあきなら特にだ。

人に頼ったり媚びたり勘違いをしたりする事が本当に多い今の音楽だから

ちあきとは一回音楽で一緒に音を出してみたい。
ちあきの作った曲で俺がメロディー付けた獣の先頭バッター的曲です。

うん格好いいと俺は思う

  

Posted by スリーピー・尚吾 at 05:52Comments(0)獣ヶ原